夫婦げんかをした時、一方的に相手が悪いと思ってしまうのですが。

 (法話会での質問より)

 この質問は夫婦に限らず、兄弟間や友人同士、会社の上司と部下の関係など、あらゆる対人関係に係ってくると思うんですが、いずれの場合も、お互いの過去世の因縁があるからぶつかるんです。
 例えば会社に勤めていて、どの人とも相性がいいということは、まずありませんでしょう。「どうも、このおじさん(上司のこと)とは合わない。会社を休んでくれたら、私の胃の痛みも治まるのに」(笑)というような場合もありますよね。あるいはご近所にも、それに近いことがあるかも知れません。それらはすべて、やったりやられたりの双方の過去世の因縁なんですよ。

 中には、この人は天敵だと思う≠ニいうケースもあったりしますがね(笑)。こういう場合などは、よほど過去世に縁が深かったんでしょうね。過去世のある時、兄弟だったりして、小さい時分におやつの取り合いをして、「コンチクショウ!」って思ったんでしょう。それで生まれ変わり死に変わりして、今生は会社の上司と部下になったんじゃないですか(笑)。

 とにかく、もの凄く気になる人、心を悩ませる人というのは、これに近い関係が過去世にあるんですよ。縁の薄い人だったら、特に気になりませんからね。

お互いの過去世の因縁というものを認めませんと、この世の中は如何(いかん)ともし難(がた)いものです。何年名月何日に生まれてくるとか、男に生まれたとか、女に生まれたとかいうのは、どうしようもないことでしょう。それと同じように、この世の出会いもすべて過去世の縁によるもので、お互いがぶつかるというのは、双方の過去世の因縁が消え去るために何らかの形で表面に出てくるんです。
 過去世のというものは、肉体の方はまったく分かりませんからね。相手から何か嫌なことを言われたような場合でも、それによって過去世の業が浄められたんですから、相手を責めてもどうしようもない……これでお互いの過去世の業が浄まったんだ。二人が調和して参りますように。お互いの本心・本体が現れますように。守護霊様、守護神様ありがとうございます≠ニ祈り心に換えていくんです。相手を責めていけば、また新しく業を積み重ねていくことになりますからね。
 夫のことを憎たらしいと思っていても、私は宗教団体に入っているから夫にはかしずかなくてはいけない、と表面は辛抱して三つ指ついてやっていても(笑)、無理をして押しこんだ想いというものは消えませんから、その想いのまま「世界人類が平和でありますように」と大光明の中に入ってしまうんです。業というのは、神様の無限の光の中に入っていかないと消えないんですよ。とにかく、何かあったら「これで業が浄まったんだ、ますます光り輝きますように」と祈り心に転じることですね。


風韻誌15号(2005年12月)収録



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